江戸時代の文化と生活

江戸時代のちょっとびっくりな文化や生活

江戸時代の意外な文化や驚きの風習をみてみよう

江戸時代は、よく時代劇などにも取り上げられることもあり、日本の歴史の中でもある意味一番親しみを感じやすい時代ではないでしょうか。

 

江戸時代はわずか150年ほど前のことであり、現代でも地方に行くと江戸時代の生活様式をそのまま残しているような暮らしぶりのところもあります。

 

しかし、江戸時代には明らかに現代とは違った生活習慣や、風習などもたくさんありました。

 

お風呂やトイレに関する様式や習慣、あるいは医療や出産、刑罰に関することなど、明らかに今の時代からは考えられないような形式のものも多かったのです。

 

これらは、時代劇などからは見ることができない、本当の意味での江戸時代の庶民の姿といえるでしょう。

 

このサイトでは、そうした江戸時代の人々の暮らしぶりから、当時の平均寿命や平均身長など、とても興味深い話をたくさんピックアップしてみました。

 

江戸時代に興味のある人にとって、当サイトは時間を忘れるほど楽しいサイトとなることでしょう。

 

幕末の日本の人口は3000万人程度だった 

江戸時代にはわが国の人口はどのくらいだったのでしょうか?

 

よく用いられる数字として、ざっと3000万人だったとされていますが、あくまでも江戸時代中期から後期の推定値です。

 

もちろん現代とは違って正確な統計データを集める手法が確立されていなかったこともあり正確性に疑問が残るのは仕方ないですが、あえて人口統計から除外されていた人々もいたようです。

 

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江戸の武家や町人の服装にはどのような特徴があったのか

江戸時代の服装は、男女で異なるのはもちろん、身分によっても違っていました。

 

今のような服装ではなく、男女とも着物を着ていましたが、小物などにも身分による違いがありました。

 

時代劇などをよく見ていると気がつきますが、江戸時代では社会制度がそのまま服装にも反映されています。

 

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幕府が自白を強要するための拷問にはどのようなものがあったのか?

江戸時代の犯罪捜査の時代劇では、しばしば拷問の場面が登場します。

 

岡っ引き(おかっぴき)と呼ばれる警官が、容疑者に自白を迫るために、縄で縛って木からつり下げてムチでたたいたり、溺れそうになるほど顔を水につけたりします。

 

実際に江戸時代にはそうした捜査方法がとられていたことは確かですが、ドラマや映画で描かれる世界は、かなり大げさで、事実と異なる演出がなされているようです。

 

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現代人がほとんど意味を理解できない江戸時代のみだれた言葉

江戸時代には、中央政府が定めた共通語・標準語というものはありませんでした。

 

したがって、「方言」という考え方もなく、皆がそれぞれ使い慣れた言葉を勝手に使っていたわけです。

 

江戸時代の初期には、全国から何十万人もの武士たちが集められ、また、街づくりのために大工や土木工事のできる労働者が各地からこぞってやって来たために、さまざまな地方言語が一気に江戸に侵入し、かなり混乱した状態であったと推測されます。

 

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江戸時代には金貨と銀貨と銅銭の3種類の貨幣が流通していました

>江戸時代には金貨と銀貨、それに銅銭の3種種類の貨幣が使われていました。

 

金貨というのはよく知られる「小判」のことで、これは主に江戸を中心とする東日本で使われ、銀貨は大阪を中心とする西日本で使われました。

 

銅貨は全国各地で使われ、日常生活でもっとも流通した貨幣です。

 

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幕末の頃の日本人の識字率は70%〜90%だった

江戸時代の鎖国政策などにより、わが国は世界的な産業革命に大きく後れを取りました。

 

しかし、明治の富国強兵によって瞬く間に世界に追いつき、経済力でも西欧諸国に肩を並べ、軍事力の面でも清やロシアに勝利するほどの力をつけました。

 

それは日本人の勤勉で実直な努力のたまものでもありますが、江戸時代においても、絶対的な学力がきわめて高く、識字率は世界でもっとも高かったことも大きな要因です。
 

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虫歯になったときの治療方法〜歯医者の仕事は抜くこと?

江戸時代の人たちにも虫歯はありました。

 

現代のように甘味料が豊富なわけではなく、質素な食生活をしていたので、今ほど虫歯になる人が多くはなかったと想像されます。

 

しかし、十分なブラッシング法もなく自然に任せていたので、江戸時代においても歯の痛みに苦しむ人も少なくはなかったのです。

 

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下級武士や町人たちの食事は意外に質素だったようです

江戸時代の食事も、現代と同様、家庭によってその内容は大きく異っていたことでしょう。

 

裕福な家では美味しいものを毎日食べているでしょうし、貧しい家ではおかずのほとんどない食事だったでしょう。

 

ただ、江戸時代には現代とは違い肉を食べる習慣はほとんどなかったので、どこの家でも蛋白源はもっぱら魚や豆類でした。

 

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医者は幕府や藩によってさまざまな特典が与えられていた!

江戸時代においても医者は現代と同じように尊敬される職業で、幕府や藩によってさまざまな特典も与えられていました。

 

当時は漢方医学が中心で、18世紀の後半以降はオランダから伝わった欄方医学が少しずつ流行し始めます。

 

とはいえ、町医者のほとんどが漢方医学しか知らないため手術を行うこともなく、治療は脈をとって薬を処方することでした。

 

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家康の時代から幕末までの主な年号とさまざまな出来事

江戸時代には「江戸」という年号があったわけではありません。また、将軍が変わるたびに年号が変わるということもありませんでした。

 

古来よりわが国で使われている独自の紀年法である「和暦」は、天皇によって定められてきたものです。

 

現代では年号は天皇の即位とともに新しくなりますが、江戸時代以前には必ずしも即位と同時期ではありませんでした。

 

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江戸時代の時間は夏と冬では長さが違った?

江戸時代に限りませんが、昔の人々は、明るくなると起きて働き、暗くなれば寝るという生活をしていました。

 

現代のような電気の明かりはなく、ちょうちんなどでは広く家中を明るくすることはできません。

 

道に街灯もなく夜道を歩くのは危険です。前が見えない真っ暗闇ですし、盗賊などに襲われる恐れもありました。

 

そうした環境から、江戸時代では時間についても日の出や日の入りの時刻をベースに決められていました。

 

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江戸時代の人の平均身長はどれくらいだったのでしょうか?

かつて欧米諸国の人々からは、日本人といえば「チビ」と思われていました。

 

現在では、わが国の男女の体格はずいぶん立派になり、ヨーロッパの人々とほとんど変わらなくなってきています。

 

実は60年ほど前と比べると、日本人の身長は男女とも10センチほど伸びているのです。

 

では、江戸時代には日本人の身長はいったいどれほどだったのでしょうか?

 

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火消しの仕事は火事を消すことではく破壊活動だった?

江戸時代の家屋はほとんど木造です。現代では防火壁などの材質が使われているために、ボヤが起きても大きな火事にまで発展しないこともありますが、当時の建物は木と紙でできていたためとても燃えやすいものでした。

 

しかも、長屋づくりで、狭い土地に密集して町ができていたために、一度火災が発生するとあっというまに近隣にまで燃え広がってしまいます。

 

「火事とケンカは江戸の花」といわれますが、江戸時代には火事が頻発していたのです。

 

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男女別にみる江戸時代の髪型の特徴〜ちょんまげから文金高島田まで

わが国には髪型についての伝統があります。

 

「日本髪」と呼ばれる髪型は古墳時代から続いているとされ、埴輪(はにわ)に見られる女性の髪型もそうです。

 

伝統があるといっても、いつの時代も同じスタイルが継承されてきたわけではありません。

 

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江戸時代の平均寿命は30才から40才だが長生きの人もいた

織田信長は「敦盛」(あつもり)という舞が好きで、特に、「人間五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という一節を好んで舞ったといわれています。

 

「人間五十年」とは、人の一生は50年ほどだという意味で、平家の時代から江戸時代には、平均寿命は50年と考えられていたようです。

 

これを根拠に、しばしば「江戸時代の平均寿命は50才くらいだった」と言われますが、現代用いられている人口統計の手法で計算すると、もっと短かったと考えられています。

 

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和算は実は世界トップレベルの数学だった!?

現代のわが国には著名な数学者が数多くいて、世界的に見てもトップクラスと言えます。

 

現在の学校教育で学習するタイプの数学は、明治時代にヨーロッパから入ってきたものです。

 

そのため、江戸時代以前のわが国にはあまり大した数学はなかったと思われがちですが、実は世界レベルと比較しても、決して劣ることのない水準でした。

 

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江戸時代の前期には蒸し風呂で混浴が当たり前だった!?

江戸時代は銭湯の全盛期だったとも言えます。

 

江戸時代の始まる少し前、徳川家康が江戸に入った翌年の1591年に最初の銭湯ができました。

 

当初の入浴料は1文だったと言われますので、現代の価値にして数十円ほどだったようです。

 

当時の風呂は混浴で、現代のように湯船に入るものではなく、蒸し風呂です。現代風にいえばミストサウナのようなものです。

 

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江戸時代の代表的な文化と特徴についての豆知識

江戸時代の文化は、ある意味町民が発展させた庶民の文化ともいえます。

 

中世に流行した仏教芸術のような高尚なものはありませんし、古今和歌集などに代表されるような和歌文化や枕草子や源氏物語などのような文芸文化においても、江戸時代の作品は大衆的なものが多く見受けられます。

 

しかし、逆の味方をすれば、一部の貴族階級の間にしか浸透していなかった文化芸術が、一般庶民の間にも広がりすそ野の広い発展をしたと見ることもできるでしょう。

 

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写楽や歌麿の錦絵が1枚20文で400円で買えた?

異なる時代の物価を比較するのはとても難しいことです。単純な値で示すことはほとんど不可能であり、専門家ですらさまざまな条件付きで、「1両」を1万円、8万円、10万円、30万円などとしています。

 

経済の専門家の推定する値には、実に30倍もの開きがあります。

 

江戸時代を舞台としたドラマなどで、悪徳商人がお代官様にワイロとして千両箱を渡し、「お主もワルよのお」と言われる場面がしばしば登場しますが、観る側としては千両箱がいくらだったら納得感があるのでしょうか? 

 

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江戸ではあらゆるものをリサイクルして使うのがあたり前

江戸時代にはリサイクルすることが当たり前でした。現代のようになんでも簡単に手に入れられる時代ではありません。

 

物が少なく貴重でしたので、一つのものを長く大切に使うのが普通のことです。

 

使えなくなっても修理をしてまた使います。何度も直してそれでも使えなくなったもので、捨てることをせずにリサイクルしていたのです。

 

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江戸のお風呂は庶民の社交場的なサロンでした

江戸っ子はお風呂が大好きな人たちでした。

 

江戸時代の初期には新しい街づくりが始まり、全国から土木・建設作業員が上京しましたが、働いた後の土やほこりにまみれた身体をきれいにするために、風呂が欠かせなかったのです。

 

そのため、銭湯が急発達し、江戸の町中にいくつもの湯屋ができました。

 

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長屋の共同トイレはドアが半分しかなかった!?

今も昔も人は便をします。当然、江戸時代にもトイレがありました。

 

ただ、江戸の町人たちの多くは長屋住まいですので、各戸にひとつトイレがあるというほどのぜいたくは許されません。

 

10世帯ほどが暮らす長屋に2つほどのトイレがあるだけ、というのが普通です。

 

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身分制度における「士農工商」の序列は嘘だった?

江戸時代には身分制度があり、大きな格差が存在したことはよく知られています。

 

一定の年齢以上の方は、社会科や日本史の授業で、江戸時代には「士農工商」という序列があり、士(=武士)を頂点に、農(農業従事者)、工(工業従事者)、商(商業従事者)の順で身分が固定されていたと習ったはずです。

 

また、農民を卑屈にさせないために、「士」の次に「農」を置いたと教えられた人も多いことでしょう。

 

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武士や公家以外にも名前に苗字があった!?

名付け方には、時代ごとの風俗や流行、文化や宗教、しきたりなどが反映され、人の名前を見れば時代がわかります。

 

江戸時代の「命名」の習慣を知ることは、江戸そのものを知ることにもつながります。

 

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徳川家康の時代にすでに英語が日本に伝わっていた?

江戸時代末期のペリーの黒船来航以来、わが国は英語による外交の必要性に迫られました。

 

それまでは、海外の科学や文化、政治などを学ぶのにはオランダ語が中心でしたので、英語を知っている者はあまり多くはありません。

 

鎖国政策から開国に向かう世情の中で、江戸時代の人たちはどのように英語を学んでいったのでしょうか? そこには蘭学者たちの努力や、ジョン万次郎の活躍などがあったのです。

 

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代表的な刑罰〜切腹・獄門・磔(はりつけ)・追放・遠島

現代でこそ、刑法があり裁判所があって弁護士がいますので、犯罪に対しては一定の公平性が保証された刑罰が与えられます。

 

しかし、江戸時代にはまだそうした制度は整っていません。

 

当然ながら「三権分立」という考え方もなく、司法も立法も行政も武士がすべて取り仕切っていました。

 

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とにかく洗えば何とかなる?〜江戸時代のありえない避妊法

人類の歴史の中で、「避妊」というのは大きなテーマでした。高度な避妊法が確立されている現代においても、若い男女が十分な知識のないまま性行為をし、望まない妊娠をしてしまうというケースは少なくないようです。

 

妊娠についての科学的な知識の乏しかった江戸時代には、迷信に近い方法も含めかなり幼稚な方法がとられていました。

 

江戸時代の性に関する倫理観は、現代以上に緩やかなものだったと言われ、「処女を守る」というようなお堅い感覚を持っている女性は少なかったようです。

 

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産屋の中で座ったまま出産するのが当時のスタイル 

現代のように医療施設が整っていなかった江戸時代において、出産は産婆の役目でした。

 

生まれそうになると、妊婦は産屋(うぶや)に移り、そこで女たちに助けられ勇気づけられながら出産をむかえたのです。そこには男の入る余地はありませんでした。

 

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生理のとき江戸時代の女性たちはどのように処理をしていたのか?

現代の女性たちは生理用のナプキンやタンポンで処理していますが、そうしたモノのなかった江戸時代の人たちは、生理のときにはどのように対処していたのでしょうか? 

 

現代人が普通に使用しているパンティのような下着もなく、困ることはなかったのでしょうか? 

 

実は、実は江戸時代の女性たちはあまり困らなかったようなのです。

 

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質素な生活が当たり前だった時代〜着るものはリサイクルが基本

江戸時代の生活については、さまざまな史料が残されています。

 

各地の博物館や郷土資料館には江戸時代の衣装が展示されていますし、錦絵や浮世絵などにも当時のあでやかな生活ぶりが描かれていますので、そうしたものからある程度知ることができます。

 

しかし、残されている史料からわかるのは、あくまでも江戸時代の上流階級の生活であり、よそいきの服装やごちそうであることに注意すべきでしょう。

 

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