江戸時代のトイレ

江戸時代のトイレ事情〜糞尿は農家に売っていた

江戸時代のトイレ事情〜糞尿は農家に売っていた

今も昔も人は便をします。当然、江戸時代にもトイレがありました。

 

ただ、江戸の町人たちの多くは長屋住まいですので、各戸にひとつトイレがあるというほどのぜいたくは許されません。

 

10世帯ほどが暮らす長屋に2つほどのトイレがあるだけ、というのが普通です。

 

プライバシーの確保が難しいため、「トイレ付きの家に住みたい」というのが多くの江戸っ子町人たちの夢だったそうです。

 

長屋には共同トイレがあるだけだった!?

現代では、安アパートでも部屋にトイレがついているのが当たり前です。トイレなしの部屋ではなかなか借り手は現れないでしょう。

 

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江戸時代には、トイレ付のアパートというものは存在しませんでした。町人たちの多くは長屋住まいで、ひとつの長屋に1か所か2か所のトイレがあるだけでした。しかも男女共用です。

 

トイレにはちゃんとしたドアがなかった!?

今ではトイレにドアがないということはあり得ませんが、江戸時代の長屋のトイレのドアは半分だけしかありませんでした。

 

下半分だけ隠れるようになっているため、上からのぞけば中は丸見えです。

 

男性が立って用をたしているときには、中に人がいるのが分かりますが、しゃがんでいれば中にいるのかどうかわかりません。

 

そのため、しゃがんだ状態で頭を上げて、中にいることを知らせる必要もありました。

 

女性の場合には、のぞかれる心配が常にあり、落ち着いて用をたすことが難しかったようです。

 

たまった糞尿は売っていた!?

江戸時代には人糞は農家にとって貴重な肥料でした。そのため農家の人たちが定期的に糞尿を買い取りにきて、処分してくれたのです。

 

長屋の場合には、糞尿の処分費として受け取ったものは大家のものとなりました。

 

一般の家庭でも、農家に売っていました。代金は現金で支払われる場合もあれば、農家の作物との現物交換の場合もあったようです。

 

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滝沢馬琴の日記に記された糞尿記録

江戸時代後期のベストセラー作家滝沢馬琴の暮らしぶりはかなり質素なものだったようです。

 

当時の小説家というものは有名になってもあまりもうからなかったのでしょう。普段着るものは古着屋で買い求めたものばかり。

 

自家菜園でつくった野菜は売って金にし、売れ残ったものを自家消費していました。

 

糞尿についても農家と交渉して、「15才以上の者ひとりにつき、大根50本となす50個」という交換条件を結んだことを記しています。

 

当初は好条件と思っていた馬琴ですが、15に満たない孫たちの分がカウントされないことに気がつき憤慨、農家に交渉しても取りあってもらえなかった怒りを日記に書き留めています。

 

くみとりはやはり臭かった!?

糞尿のくみとりは臭いものです。江戸時代には狭いエリアのあちらこちらでくみとりが行われていたので、かなり悪臭がたちこめていたようです。

 

吉原を描いた「錦の裏」という書に、朝帰りの客を茶屋まで送っていった花魁(おいらん)が屋敷にもどって「をや、もふ、そふじがきたそふだ。いっそにほうよ」と言うのが書かれています。

 

「そふじ」とは汲み取りのこと。朝っぱらからくみとりにきて臭いということを嘆いています。

 

江戸時代の家屋は木造で隙間だらけです。戸や窓を閉めても完全には密閉できません。

 

くみとり屋が来た時の匂いは長屋一帯に立ち込めたことでしょう。

 

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