江戸時代の糞尿の売買

江戸時代に売買された糞尿にはランクやブランドがあった!?

江戸時代に売買された糞尿にはランクやブランドがあった!?

江戸時代はよく出来たリサイクル社会でした。

 

現代では何の価値もないどころか、処分のために大きなコストをかけている糞尿でさえも、有効に再利用されていたのです。

 

それどころか、糞尿にもさまざまな条件によってランク分けがあり、仕入先によってブランド物の糞尿まであったというのですから驚きです。

 

ここでは、江戸時代のリサイクルの象徴ともいえる糞尿の再利用について詳しく見ていきたいと思います。

 

特上から下等まであった糞尿のランク分け

現代のように化学肥料などなかった江戸時代において、糞尿は貴重な肥料となりました。

 

スポンサーリンク

 

そのため、糞尿は高く売れ、ランク分けやブランドまでありました。

 

特上にあたる「きんばん」と呼ばれる糞尿は、幕府や大名屋敷の勤番者のものです。勤番者の糞尿なので「きんばん」と呼ばれたのでしょうが、身分の高さが糞尿の値段にまで反映されるとは驚きです。

 

上等にあたる「辻肥」は、街角にある辻便所と呼ばれる、いわゆる公衆便所から汲み取った糞尿です。

 

中等にあたる「町肥」は、一般の長屋などの町民が使う便所から汲み取られた糞尿にです。

 

下等にあたるのが「たれこみ」と呼ばれるもので、糞の量が少なく尿が多く混じっているため肥料としての価値の低くなります。

 

また、同じく下等にあたる糞尿に「お屋敷」と呼ばれるものもありました。これは牢獄や留置所から汲み取られたもので、罪を犯した人の糞尿は価値が低いとされました。

 

このように、同じ人間の体からでた糞尿なのに、さまざまな理由によりランク分けされていたというのはとても興味深いですね。

 

それぞれの身分による食べ物の違いから、肥料としての効き具合も違っていたのかも知れません。

 

高いか安いか糞尿の値段

ちなみに糞尿はどれくらいの値段で売買されたのでしようか。

 

記録によると、中等の「町肥」で、樽一杯あたり25文、船1艘あたり1両というのが相場だったようです。

 

現代の貨幣価値で1文を20円、1両を10万円とすると、樽一杯の糞尿の値段が500円程で、船一艘分が10万円程ということになります。

 

これを高いとみるか安いとみるかは価値観によりますが、それにしても糞尿がこのような金額で売買されていたことは驚きですね。

 

スポンサーリンク

 

江戸城の汲み取りの権利を有した葛西氏とは?

江戸時代において、糞尿は立派な商品だったわけですが、中でも高く売れる江戸城の汲み取りをする権利を持っていたのが、葛飾郡葛西領(東京都江戸川区)の葛西権四郎という人物でした。

 

葛西氏は、鎌倉時代からの名門でしたが、家康の江戸入国の時に葛飾郡葛西領で土着の農民となりました。

 

このときに幕府より汲み取りの権利を与えられたようです。

 

江戸城の汲み取りの権利があったということは、当然ながら大奥の糞尿の買取を許されていたわけですが、こちらもかなりの値段で売られていたようです。

 

しかし、高い値段とは裏腹に、糞尿の質としてはあまりいいものではなかったようです。

 

といいますのは、大奥の女性たちは厚化粧をしています。そのため、化粧品の成分である鉛や水銀などが糞尿に混入していたようです。

 

当然、それらの糞尿を肥料として使えば、その畑から取れた野菜にもそれらの重金属が混入することになります。

 

江戸の町民が生野菜を食べなかった理由

交通手段があまり発達していなかった江戸時代では、重量のある糞尿を運ぶために船を利用することが多かったようです。

 

船に糞尿をたっぷりと積んで農家に届けたあと、帰りはその同じ船に野菜を積んで運ぶのが一般的であったようです。

 

糞尿と食べ物である野菜を同じ船で運ぶなどという感覚は、現代人には到底理解できるものではないでしょう。

 

バキュームカーの中に野菜を入れて運ぶようなものですから。

 

当時は、畑の野菜に肥料として糞尿をかけていたわけですから、野菜に糞尿がつくことにそれほど違和感をおぼえなかったのかも知れません。

 

とはいえ、さすがの江戸町民も、糞尿まみれの野菜をそのまま生で食べることには抵抗があったのか、当時の江戸の町では生野菜を食べるという習慣はなかったようです。

 

スポンサーリンク

 

このエントリーをはてなブックマークに追加